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比呂野

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長野 南信濃村

2011年12月09日

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私達、廣野兄弟は飲食店の子供として生まれ、店が忙しい、夏休みや冬休みになると、母の実家の長野の山奥、南信濃村という所へ預けられて育ちました。

預けられるというと、可愛そうな気もしますが、私達兄弟にとっては、一刻も早くその日が来るのを待ち望んで、10日くらい前からカウントダウンを始める程でした。

小さい頃から、行ってますが、小学生にもなると、二人でバスや電車で行くこともありました。

あとは、親戚の猟師が守山に住んでるので、乗せてもらったり。

その猟師について歩いていた兄は猟師になる事を幼心に決めたのでした。

そして、私達を長野で面倒みてくれていたのが、母の9人兄弟の一番上の兄夫婦。

母の兄弟、皆、女が強し。

中学生の頃、おばちゃんに『腹を減らして帰らせれんで、もっと食べよ』『寒くないか、これ着よよ』などと、耳にタコができるくらい言われて、反抗期だった私は、『もぅ、わかったから!うるさいなぁ。』と、おばちゃんに反抗できるくらい、心許せる関係でした。

一年前、おばちゃんが癌で亡くなり、山でおじちゃんは一人で住んでいけるのか、すごく心配してたけど、何の心配もありませんでした。

そして、今日、鹿の刺身が食べたいというおじちゃんに、鹿が捕れたから取り来てと呼びに言ったら、外でチョコンと腰をかけ、干し柿をしゃぶっている。

もう、その姿がたまらなく、可愛いし、愛しい。

『椎茸持ってくかよぉ』
『くるみ持ってくかよぉ』

と、持たせてくれた。

おばちゃんいなくても、大丈夫そうだねと、声をかけると

『くるみも割らんならんし、酒も飲まんならんし、忙しいわ』とボソッと言う。

遥かに想像を越えた山奥に住む、おじちゃん。
隣人もいない。
トイレも風呂も外。

山のふもとに降りるまでも、一苦労。

そんな場所が、私達の『今』に繋がっている。

おじちゃんは、鹿の背ロースと足二本を袋にいれて、再び山奥の家へ帰って行った。

はみ出る大根の袋をぶらさげる主婦のように、はみ出る鹿の足をぶら下げて。

いまでも、家族、兄弟、すごく仲がいいねと言われますが、こんな環境に触れてきたから、今の私達があるんだと思います。

今はコタツで寝転びながら、たまに起きて、干し柿や野沢菜の漬け物をつまみ食いしながら書いています。

私にとっては最高の贅沢!
好きなだけ寝て、好きなときに犬と遊び、山を眺める。
しかも!
ここは電波がないので、携帯が使えません。
これも最高です。

誰にも邪魔されない、自分だけの場所(笑)

こんな素敵な場所で住んでたから、おかんは忍耐強く、前向きで、思いやりがあり、気さくで、愛情が田舎くさくて、あったかい人なんだなぁーって、わかります。

長野県南信濃村は私達の『今』の原点でした。

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